どーも、やのっちです。
昔から、着眼点が偏っているという指摘をよく受けます。
昨日の会話から。
指導医「なんか今日はV(人名)さん元気ないよね。」
研修医W 「そうですね、担当している患者さんのことで何か悩んでいるような感じなのですが…」
やのっち「えっ、誰の話ですか?」
指「Vさんだよ、やのっち先生気づかなかった?」
や「えっ、1ミリたりとも気づきませんでしたけども。」
W「僕は「おはよう」って言った一言めから様子がおかしいって気づきましたよ。」
や「えっ、僕話したとき全く普通でしたけど。」
指+W「むしろ気づかなかったことに驚きだよ!やのっち先生は精神科には向かないね。」
や「いやいや、深読みし過ぎですって。(自信満々)」
その後、やっぱりVさんはいつも通りだけどな、と思っていると…
指「Vさん、朝ちょっと元気なかった?」
や「!?」
V「え、ええ…。そうかも知れません。」
や「!!!、む、むひょひょーー。それ、自分で肯定したーーーっていうことは、割と自覚的にも落ち込んでいた感じですかーーー。ぬおおおお、恥っずかしー。恥ずかしすぎて穴があったら入りたい、で思い出したけど封神演技の土行孫の件は面白かったなー(穴掘りの達人が、幼馴染の女傑の王と敵味方として戦い、結ばれるというお話です)」
と、最後の台詞は口に出してはいませんが、そんな感じでした(?、まとめ方が雑)。
精神科医というか、なにか人間として比較的ダメな気がするのですが、大丈夫でしょうか、僕。(折しも、太宰の「人間失格」を読んでいますが、読むとやるせない気持ちになりますね。)
夜の勉強会では緩和医療の考え方についての講義を受けました。
患者さん・ご家族が怒りをあらわにしたりすることは、トラブルとして嫌厭されがちだけど、実際はキューブラー・ロスの5段階(「否認→怒り→取引→抑うつ→受容」)でいうところの「否認」をクリアした状態であり、インフォームド・コンセントが比較的良好に行われた証拠であるという内容が面白かったです。
他にも、再発のときの説明はすごく難しい、とか、否認がクリアできていないとトラブルになりやすい(家族の告知拒否も多くは否認が原因である)、スピリチュアルペインは患者本人が答えを見つける(あるいは見つけようとする)ことが大事なので医療者は傾聴することしかできない、傾聴には訓練が必要であり自身の精神衛生を保つ工夫も必要である、などなど勉強になるポイントがたくさんありました。
人の気持ちに寄り添える医師(人間)になれるよう、精進します。ええ。させていただきます。すみませんでした(笑)。
ではでは。
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