2013年9月25日水曜日

#と誤嚥

どーも、やのっちです。

最近になって知ったことを2つばかり。

先日、ハッシュ(「#」、ナンバー、井桁ともいう)とシャープ(「♯」、音楽で使う。嬰記号)が違う記号であることを知りました。横画が平行か縦画が平行かで見分けるそうです。
学生時代は校正とかしてて、こういうのは得意なつもりだったんですが、世の中って知らないことたくさんありますね。

ちょっと専門的な話になりますが、誤嚥性肺炎は下肺の背側と右上葉の尾側におこることが多いそうです。右上葉の誤嚥性肺炎は仰臥位で誤嚥したときに起こると言われてます。食道全摘後の後胸骨経路胃管再建術後は右上葉が多いという報告もあるそうですが(伝聞です汗)、消化管が気管より腹側に来るので、仰臥位で誤嚥することが多いということなのかも知れませんね。

2013年9月24日火曜日

「にい」と眼底

どーも、やのっちです。

小学生時代にもやもやした思い出を一つ。
小数の勉強をしたときに、小数の読み方という問題がありました。
「「4.31」は何と読むでしょう」みたいな。

.」を「てん」と読むということと、「0.365」を「れいてんさんびゃくろくじゅうご」と読まないみたいなことの2点が理解できているかというのが、出題の主眼だと思うのですが、実はこの問題はもっと奥が深いんです。

1.3」や「8.3」のようなときの「1」が「いっ」、「8」が「はっ」という読み方を許容するというのはそれでいいのですが、「2.3」「5.3」の「にい」や「ごお」は通常の読み方では出てきません(つまり「いっ」は「一」の訓読みの一つだけど、「にい」は「二」という漢字の読みではないのです、たぶん。)
さらに考えていくと、「0.2」は「れいてんに」と「2」を「に」と読んでいますが、「0.23」になると、「れいてんにいさん」と「にい」と読みます。
0.02」は「れいてんれいにい」とやはり「にい」
0.002」は「れいてんれいれいに」と今度は「に」
0.0002」は「れいてんれいれいれいにい」と「にい」
0.00002」は「れいてんれいれいれいれいに」と「に」
つまり、小数点以下何桁目に「2」(あるいは「5」)が現れるかで「に」なのか「にい」とのばすのかが決まります。これは桁数が増えてきたときに桁数がわかることがあって合理的といえば合理的ですが…ちょっと微妙です。(「2.22222」は「にいてんにいにいにいにいに」で「に」終わりなので小数点以下が奇数桁あることが、「2.222222」は「にいてんにいにいにいにいにいにい」は「にい」終わりなので小数点以下が偶数桁であることが(一つ一つ数えなくても)わかります。でも所詮最後の桁が「2」か「5」のときしかわからないので微妙です。)
以上は小学3年生で小数の読み方についてのテストがあったときに思ったことですが(ちなみに僕の学校では「0.22」は「れいてんにに」と書くやくそくになっていたので、テストではその方式で望むべきか自分が正しいと思う読み方を貫くか、という問題で内心どきどきしていたのですが、結局「2」や「5」がらみを回避した設問になっていたので、「しょうもないポイントでつまずく生徒がいないように配慮してくださってるんだなー」と思ってありがたかったのを覚えています。)(新かな遣いにも「れい」は「レー(レエ)」と発音するとか「わたしは」は「ワタシワ」と発音するとか、旧仮名遣いの名残というか発音と表記が一対一で対応しない部分があるので「に」と書いて「ニイ」と読むくらいの揺れは許容する立場も十分にあり得ると思いますし。)

ま、今にして思えば、小数点以下の読み方が「0.3698…」「れいてん さん(上がるアクセント) ろく(下がるアクセント) きゅう(上がる) はち(下がる)…」みたいに上昇下降、上昇下降、…みたいに2桁ずつ山を描くようなアクセントで読まれていくので、上がるにしろ下がるにしろ2音節必要だから「2」が「にい」になるのは当たり前といえば当たり前なのですが、当時はそれが不思議でしょうがありませんでした。(恥ずかしがらずに先生に訊けよ!っていう話ですね、卑屈な子でした。)小数点以下の「4」を「し」ではなく「よん」と、「9」を「く」ではなく「きゅう」と読むのも同様ですねー(まあ、「し」「く」の読み方が現代ではレアなのでアレですが)、これも当時は気づきませんでした。

(何で今になってこの問題を思い出したかというと、長崎大学病院のエレベーターのベルに2種類「ポンピーン(上がる)」と「ピンポーン(下がる)」の2パターンあって、それぞれ上に行く場合と下に行く場合に対応していたことに気づいたとき(一昨日)に、ふとこの問題を思い出したからです(あんまり理由になってないか…)。)

話の枕が長くて(長すぎて)アレですが、最近、眼底鏡(直像鏡)で眼底が見えるようになりました!!学生のころは「何となく白っぽいのが見えた気がする…。」というレベルで終わらせていたけど、きちんと指導医の先生(優しい!)教わってやり方がわかったので、今後どんどん練習してぱっと静脈の拍動があるかどうか見れるレベルに到達したいです。


(うーん、ちゃんとつながってない感じがするので明示すると、今回は「学生時代に積み残した課題が最近解決してすっきりした」つながりで、医学に関係ないネタと医学ネタ、という構造でしたー。)
ではまたー。

2013年9月21日土曜日

英会話in長崎

どーも、やのっちです。

ここ1ヶ月、研修医交換プログラムで長崎にいます。
長崎よいとこ一度はおいで。街に面白みがありますね。
結局、通勤途中にある「必殺カット」という名前の美容室(理髪店?)に行かずに長崎研修を終えそうなことが残念ででなりません。
でもおかげで必殺されずに無事帰れそうです(?)。

さて、長崎大学病院は田舎(失礼!)の大学病院にしては研修医の数が多くてびっくりです。60人くらいいてすごい。研修医室は圧巻ですよ。研修医室の隣がシミュレーションセンター、申し込みしたら誰でも使えるのです。マネキンや内視鏡デモ機、「点滴とらせまっせ腕」(命名:やのっち)など、充実してます。あと研修医室と同じ階にリハビリセンターがあって、夜間は自由にエアロバイクとかダンベルとか使ってOKな感じになっています。研修医用のちょっとした勉強スペースと共用の教科書が研修医室とつながっていて便利。

そして! 週に1回研修医向けの英会話のレッスンがあります。
ネイティブの先生が少人数レッスンで教えてくださる感じです。

この英会話レッスン、やのっちも受けてるんですけど、面白いんですよね。
この前はiPS細胞から作られた牛肉の組織でハンバーガーを作った、という話題についてリスング・音読し、どう思うかディスカッションしました。

以下備忘録を兼ねて英会話レッスンの内容のシェアを!

みんなから出てきた主な視点は、
・生き物の命をいただくという感覚を巡る倫理的問題
・宗教的規律から食肉できなかった人たちの食の選択肢が広がるという宗教的視点
・肉の味の均質化という食文化の豊かさ・多様性の問題
・未知の病原体を拡散する可能性があるのではという公衆衛生的な問題
・新興国の肉の需要拡大に対応できるという社会・経済的側面
・放牧による自然の荒廃を食い止めるという、地球環境に関する側面
などでした。
英語で話すと、思考のモードも英語になるから面白いですね。
日本語脳が圧倒的に優位なやのっちは、自分の言っている意見が上っ面すぎてなんだか恥ずかしかったです。もっと勉強せねば。

言おうと思ってなかなか出てこなかった語句は
放牧:grazing
イスラム教徒が食べていい(もの):Halal
(家畜などを)食用にするために殺す:kill for food

初めて知った語句は
Kasher:ユダヤ教徒が食べていい(もの)
desertification:砂漠化
patty:(主にハンバーガーに入っている)ハンバーグ部分

でした。

やっぱり振り返ることって大事ですね。
流れていく経験の雲を、底に落とし込んでいく感じがしていいです。
情緒的にも安定する気がするのは僕だけでしょうか。

最後に英語の先生に、長崎にいるうちにレモンとんこつラーメンを食べにいくように言われました。どんな味なんだろう?

ドキドキする電話

どーも、やのっちです。

先日、指導医に処方を確認しようと思って電話をかけたところ、
「愛してます、ごめんなさい。」
と言って切られました。



って、えーーーーーー!!
愛してます、ってどういうこと?ごめんなさいってどういうこと?っていうかなんで切られたの??

解釈1:「やのっち君の気持ちを確かめず一方的に愛してしまってごめんなさい。」
解釈2:(「愛してます」というのはアメリカンで大味な感じの表現にすぎず=間投詞として使われていて、実質的な意味としては)「ごめんなさい。」(でも、何に対して?)
解釈3:もしや恋人が院内にいて、その人とやのっちの声が似ていた?(でも「研修医のやのっちです」って最初に名乗ったのになー??)


え、でもなんか「愛してます」っていうより「愛し、てます」(早口)って感じだったな


どーーーーん!!!ぬおおおおお、わかったぁーーーー(白目)!
「IC(≒病状説明)してます」だーーーー!!!(←おいっ!!)

だ、脱力感。。
「患者さんに説明しているところだから後でかけ直します」的なアレでした。

ということで、以上、2分くらい持続した動悸と冷や汗の症例でした。笑
うーん、体によくない。笑


2013年7月23日火曜日

斜め入院と「100万分の1の恋人」

どーも、やのっちです。

先日、電話の取り次ぎで病棟の看護師さんから
「明日入院予定の●●さんなんですけど、明日の入院が斜めなので、入院の日程をずらせませんか?」
と言われ、
「…すみません、入院が斜めっていうのはどういう意味ですか?」
と聞いたら、
「(ため息)…もういいです。△△先生と直接話します。(ガチャ)」
と言って切られました。
斜めだからスルッとすべってずらしやすいのかと思ったら「斜め」ではなく「7名」でした。
新入院が7件もあってあまりに多いので人手が足りない、なんとかならないか、ということでした。
非常識な耳をしててすみません!…



さて、「100万分の1の恋人」という本を読みました。
ちなみにここでは、やのっちにスタイリッシュな読書は似合わない、という苦情は受け付けませんので、あしからず。(もっとも、「華麗なるインド系文字」とか「測定から読み解くレオロジーの基礎知識」とか「建築のエロティシズム」とか「爆発と凝集」とかをこよなく愛する事実は否定できませんが。笑)

すー、と読めるんだけど、なんだか心の重心がいつもより1.5センチくらい左前にシフトしたような読後感です(←全然伝わらんわっ!)。

この本を読んで再認識したことは、知ることの不可逆性・暴力性です。

知るという行為は不可逆的で暴力的です。
これは高校生のころからずっと考えているテーマの一つです(卒業式前日にほぼ徹夜で書いた答辞が懐かしい)。
ハーゲンダ●ツを食べることは幸せですが、その味を知った後に、エ●セルスーパーカ●プを食べるときの感情は変化するでしょう。
サンタクロースの●●を知った後、プレゼントをもらったときの純粋な驚きと感動は変化するはずです。
そんな日常的なことでも、知るという行為の暴力性を実感できます。
そして一度知ってしまうと、もう元には戻れません。

自分の出生に隠された暗い過去? あこがれのアイドルの整形前の顔? 自分への陰口? 人間が動物であるという事実? 抗えない大きな力の存在? 駄菓子の着色料の発癌性? 人の醜い心? 暴力? 老い? 隠された意図? 人はいつか死ぬという事実?

無知、というか知らないこと、無垢・純粋にも通じるようなそういう価値は失われていく一方です。自覚的に忘れることはできないから。忘れたいことは、特に。


そして、
知ることの不可逆性と暴力性の行き着く絶望の向こうに何を見るかは人それぞれですが、そこに諦観でもなく皮肉的態度でもなく、(許しというか)他者への優しさを見いだせたらいいな、と思うのです。


なーんて、斜に構えた感じで終えてみました。えへへ。笑
本の内容は1ミリも伝わらなかったと思います(すみませんっっ!)ので、興味のあるかたはAmaz○n等のサイトをご参照ください。

2013年7月15日月曜日

気になっていたアレと蜜の味

どーも、やのっちです。

3連休を使って、前から気になっていたアレを完遂してしまいました。
アレというのは…

「ER緊急救命室」シーズン1パート2を観ること!

 ERはNHKとかでも再放送をやっていたのでご存知の方も多いと思いますが、僕は高校生の時にシーズン10あたりを観てたような気がします。アメリカのドラマでわりとよくあるんじゃないかという、シリーズ化して久しくなったために生じたマンネリとその打破のための過激、そこはかとなく場を支配する疲弊感とストーリーの救いのなさが織りなす独特の感じ(「Mr. モンク」にも共通)もありましたが、それを差し引いてなお惹かれる魅力のようなものがありました。(え、偉そうな発言…)

 いやあ、その点シーズン1はいいですね。ERでの忙殺されるような毎日にへとへとになったところで、ふと患者との心の交流があったり、支えてくれる家族の暖かさが実感されたりする感じ…。
 そもそも医者の仕事は、お腹痛いって言っている人のお腹押したり、生身の人間に針刺したり刃物で斬りつけたり、人工的に作った薬品を注入したりする訳だから、どこかで日常的な感覚を置いてこないとできない仕事な訳ですよ(How doctors thinkから抜粋、引用改変、思い出しバイアスあり)。
 人間としての日常的な感覚をどこかで切り離して、かつそれをもう一度たぐり寄せて日常の自分を取り戻す、あるいは自分と違う境遇に置かれた患者さんの感覚を擬似的に体感することで医師−患者関係を築かなくてはならないところが、医師の面白みであり、難しさなのかなって思いました。

 見終わって思わずシーズン2のDVDを注文してしまいました。ひょひょひょひょひょ、で注文できちゃう簡便性は蜜の味ですね、Amazon…恐ろしい子っ(白目)。(密かにマイブームです。元ネタが何なのか知らないですが。←おいっ!)

 全然関係ないけど、「真珠の耳飾りの少女」も(こちらはiTunesでレンタルして)観ました。家から一歩も出ずして映画が観れてしまうこの文明社会においては、やのっちの出不精的素因が余すところなく発揮される運命にある訳です。ああ、外は天気がいいのに。


 …さすがにちょっと散歩にでも行ってきます。
 
 ではでは。

(あっ、今週も大津のこと書くの忘れた…。また今度にでも。)
(っていうかグラム染色セミナーも書いた方がいい気がする…。)

2013年7月1日月曜日

変態みたいな人と変人

どーも、やのっちです。
先日、ある手術でイメージ(リアルタイムで見るためのレントゲンが出るビデオカメラみたいな機械の通称)を使う場面がありました。
手術用ガウンの下に着ていた放射線防護衣(X線が出るのでガウンの下に着なくてはいけない)が緩んできたので、看護師さん(女性)に巻き直してもらいました(手術用手袋をしているので自分では触れないのです)。
巻き方がどうも緩かったので咄嗟に
もっときつくしてもらっていいですか?
と言ったところ、それを端で聞いていた麻酔科のきれいな女医さんに突然
変態みたい。笑」と言われました。
初対面の印象、悪っ!(というか、その発想〜〜!)
…違うし、違います。笑

(下品ですね。大変失礼しました)


さて昨日、福島高校の生徒さんたちが県立医大の見学にいらっしゃいました。
55人くらいでした。
福島ウィルという学生の団体(ボランティアサークル的な何かのようです。説明してもらって「へ〜、そうなんだ。」を連発したわりに既に忘れました(ごめん!)。ちなみに今読み直して思いましたが、下線部は、「福島ウィルという「学生の団体」」です。「「「福島 ウィル」という学生」の団体」ではありません)が、当日の誘導やら何やら一切合切がんばってくれました。

当日のプログラムはこんな感じです。

午前
・PET-MRIの見学(全身がスキャンできるのは、福島医大が世界初の導入だそうです。こんなすごいブツがこんなに身近にあるなんて驚きです。あと、カギとかが磁力で浮くのでパフォーマンス的に面白かったようです。←それは普通のMRIでも同じなんじゃないか、という冷静なツッコミは受け付けません。笑
・手術室のダヴィンチSiの見学(オペレーター2人タイプのやつです。ガチですごいです。3Dです。ロボットです。飛び出てます。滑らかです。ぬお〜〜 ぎ、技術!)
・ドクターヘリの見学(これはやのっちにとってはおなじみだったのですが、冷静な目で見るとやっぱかっこいい気がします。)
・被爆医療棟の見学(被爆した外傷患者の対応にあたる設備を実際に見せていただき、救急診療の基礎の基礎も教えていただきました)

午後
・「どんな医療人になりたいか」というテーマでグループディスカッション
・ディスカッションの内容をお互いに発表

 午前中は見学の引率(ツアーコンダクター的な)、午後はグループディスカッションのとりまとめを行いました。
 一通りのプログラムが終わって、引率の先生として発表の講評を求められました。高校生の若さとエネルギーと思春期独特の羞恥心や懊悩・葛藤なんかを垣間みれてたのしいなーと思いながら何を話そうか考えていた瞬間、ふと疑問がわいてきました。

 …あれ、この会の目的って一体何? ←遅

 つまり、「どうせ高校の医学部進学率をあげようという、進路指導室のセコい戦略の一環に違いない」と決めつけてかかっていたけど、本当にそうなのかな?という疑問がこみあげてきました。
 そして「あ、もしかしたらそうじゃないかもしれない」となんとなく思いました。
 と同時に、仮にも同じ空間で自分の頭をフルにつかって心をさらけ出してなんとか答えにたどり着こうとしている人たちを尻目に、「ふふふ、高校生らしくていい意見だな」とか「高校生なのにすごくよく考えてるな」とか思った自分の高慢さが恥ずかしくなりました。お前は何様なんだーーー。どこかで打算的な企画だと決めつけて、自分は1ミリも考えようとしてなかったことに気がつきました。
 (ま、結構高校生のみんなとも話せたし、医学生の生活や進路についての話とかもできたのでそれなりに役に立てたとは思うのですがね…。)

 結局、あまりまともな講評はできませんでした。文脈なくして解釈なし。文脈の把握が抜けていたことに気づかなかったのは「打算的な企画に違いない」という先入観があったからです。反省。

 会が終わった後、高校の引率の先生にご挨拶に行きました。
「今回の会は前哨戦にすぎません。
高校生が自分たちで地域医療のために何ができるか考えて、県庁でプレゼンして予算を獲得させてその事業を実現させます。」
「何もせずに口先だけで文句をいうのではなく、解決に向けて何か実行する人間になってほしいんです。だから、問題意識を持ってその解決のために何かしたという経験をしてもらいたいんです。」

 圧倒されました。
 昨年度以前には、日中関係の改善のために中国から大規模に学生を招聘して交流会を開催するという企画を成功させた実績があるそうです。
 1年目のSくん(彼も教え子の一人らしい)が「んー、一言で言うと変人です。すごい先生です。」みたいなことを言っていたのを思い出しました。ある種納得。
 サービスの享受者としての視線や理想形からの引き算としての現実の認識になれてしまうと、非建設的な批判や厭世に陥りやすい。その危険で甘美な香りも悪くないけど、やっぱり問題解決者としての視線や現実からの無限回の足し算としての理想の認識の方が健康的だと思います(あんまり甘美さはないかもしれないけど)。
 その感覚を共感できてうれしかったです(ま、医学部進学実績を上げたいという打算も全くないとは思いませんが、そのくらいはおまけしてあげましょう!(←何様〜))。


さらに、
「実は私は福島高校の受験に失敗して、大学も医学部に行けなかったクチなんです。
教えることが面白くて教師になりましたが、医師へのあこがれは持ち続けていました。
数年前に医学部受験を思い立って学校に辞表を提出するところまで行ったのですが、「お前は年を取り過ぎだ」という知人の医師の言葉に引き止められ、教師を続けています。」

 「お前は年を取り過ぎだ」は、教師として築いてきた人生を鑑みるに、これから自らが医師として第二の人生を始めるよりも、教師としての立場から医師を志す若者を応援することでできる社会的貢献の方があまりに大きくなりすぎた、と解釈できて泣けました。
 医者はある意味リーダーでありある意味で主役です。僕は、そんなそんな自分なんて、と萎縮してしまいますが、自分が医者として活躍できるようにそれを支えてくれている人たちがたくさんいて、視野を広げれば広げるほど、その人たちに恥ずかしくないような医師にならなくてはという気持ちになります。(うーん、尊大な発言でしょうか?)
 ちなみに、また別な意味では医者は脇役でもありますね。患者さんが主役という側面(「側面」というか最近のあれだとこっちが主ですよね)です。



…もっとたくさんのことを考え、思い、感じたのですが、長くなったのでこの辺にしようと思います。
 こんな僕でも、「ぜひまた参加してください」と言ってくださった運営の方々に感謝です。大学生と高校生が本気で地域医療について考えて行政を動かすなんてなんかいいじゃないですか。
 60年代みたいで(←そこかよっ。笑)

次回は夏合宿だそうです。
ではまたー。