2013年7月23日火曜日

斜め入院と「100万分の1の恋人」

どーも、やのっちです。

先日、電話の取り次ぎで病棟の看護師さんから
「明日入院予定の●●さんなんですけど、明日の入院が斜めなので、入院の日程をずらせませんか?」
と言われ、
「…すみません、入院が斜めっていうのはどういう意味ですか?」
と聞いたら、
「(ため息)…もういいです。△△先生と直接話します。(ガチャ)」
と言って切られました。
斜めだからスルッとすべってずらしやすいのかと思ったら「斜め」ではなく「7名」でした。
新入院が7件もあってあまりに多いので人手が足りない、なんとかならないか、ということでした。
非常識な耳をしててすみません!…



さて、「100万分の1の恋人」という本を読みました。
ちなみにここでは、やのっちにスタイリッシュな読書は似合わない、という苦情は受け付けませんので、あしからず。(もっとも、「華麗なるインド系文字」とか「測定から読み解くレオロジーの基礎知識」とか「建築のエロティシズム」とか「爆発と凝集」とかをこよなく愛する事実は否定できませんが。笑)

すー、と読めるんだけど、なんだか心の重心がいつもより1.5センチくらい左前にシフトしたような読後感です(←全然伝わらんわっ!)。

この本を読んで再認識したことは、知ることの不可逆性・暴力性です。

知るという行為は不可逆的で暴力的です。
これは高校生のころからずっと考えているテーマの一つです(卒業式前日にほぼ徹夜で書いた答辞が懐かしい)。
ハーゲンダ●ツを食べることは幸せですが、その味を知った後に、エ●セルスーパーカ●プを食べるときの感情は変化するでしょう。
サンタクロースの●●を知った後、プレゼントをもらったときの純粋な驚きと感動は変化するはずです。
そんな日常的なことでも、知るという行為の暴力性を実感できます。
そして一度知ってしまうと、もう元には戻れません。

自分の出生に隠された暗い過去? あこがれのアイドルの整形前の顔? 自分への陰口? 人間が動物であるという事実? 抗えない大きな力の存在? 駄菓子の着色料の発癌性? 人の醜い心? 暴力? 老い? 隠された意図? 人はいつか死ぬという事実?

無知、というか知らないこと、無垢・純粋にも通じるようなそういう価値は失われていく一方です。自覚的に忘れることはできないから。忘れたいことは、特に。


そして、
知ることの不可逆性と暴力性の行き着く絶望の向こうに何を見るかは人それぞれですが、そこに諦観でもなく皮肉的態度でもなく、(許しというか)他者への優しさを見いだせたらいいな、と思うのです。


なーんて、斜に構えた感じで終えてみました。えへへ。笑
本の内容は1ミリも伝わらなかったと思います(すみませんっっ!)ので、興味のあるかたはAmaz○n等のサイトをご参照ください。

2013年7月15日月曜日

気になっていたアレと蜜の味

どーも、やのっちです。

3連休を使って、前から気になっていたアレを完遂してしまいました。
アレというのは…

「ER緊急救命室」シーズン1パート2を観ること!

 ERはNHKとかでも再放送をやっていたのでご存知の方も多いと思いますが、僕は高校生の時にシーズン10あたりを観てたような気がします。アメリカのドラマでわりとよくあるんじゃないかという、シリーズ化して久しくなったために生じたマンネリとその打破のための過激、そこはかとなく場を支配する疲弊感とストーリーの救いのなさが織りなす独特の感じ(「Mr. モンク」にも共通)もありましたが、それを差し引いてなお惹かれる魅力のようなものがありました。(え、偉そうな発言…)

 いやあ、その点シーズン1はいいですね。ERでの忙殺されるような毎日にへとへとになったところで、ふと患者との心の交流があったり、支えてくれる家族の暖かさが実感されたりする感じ…。
 そもそも医者の仕事は、お腹痛いって言っている人のお腹押したり、生身の人間に針刺したり刃物で斬りつけたり、人工的に作った薬品を注入したりする訳だから、どこかで日常的な感覚を置いてこないとできない仕事な訳ですよ(How doctors thinkから抜粋、引用改変、思い出しバイアスあり)。
 人間としての日常的な感覚をどこかで切り離して、かつそれをもう一度たぐり寄せて日常の自分を取り戻す、あるいは自分と違う境遇に置かれた患者さんの感覚を擬似的に体感することで医師−患者関係を築かなくてはならないところが、医師の面白みであり、難しさなのかなって思いました。

 見終わって思わずシーズン2のDVDを注文してしまいました。ひょひょひょひょひょ、で注文できちゃう簡便性は蜜の味ですね、Amazon…恐ろしい子っ(白目)。(密かにマイブームです。元ネタが何なのか知らないですが。←おいっ!)

 全然関係ないけど、「真珠の耳飾りの少女」も(こちらはiTunesでレンタルして)観ました。家から一歩も出ずして映画が観れてしまうこの文明社会においては、やのっちの出不精的素因が余すところなく発揮される運命にある訳です。ああ、外は天気がいいのに。


 …さすがにちょっと散歩にでも行ってきます。
 
 ではでは。

(あっ、今週も大津のこと書くの忘れた…。また今度にでも。)
(っていうかグラム染色セミナーも書いた方がいい気がする…。)

2013年7月1日月曜日

変態みたいな人と変人

どーも、やのっちです。
先日、ある手術でイメージ(リアルタイムで見るためのレントゲンが出るビデオカメラみたいな機械の通称)を使う場面がありました。
手術用ガウンの下に着ていた放射線防護衣(X線が出るのでガウンの下に着なくてはいけない)が緩んできたので、看護師さん(女性)に巻き直してもらいました(手術用手袋をしているので自分では触れないのです)。
巻き方がどうも緩かったので咄嗟に
もっときつくしてもらっていいですか?
と言ったところ、それを端で聞いていた麻酔科のきれいな女医さんに突然
変態みたい。笑」と言われました。
初対面の印象、悪っ!(というか、その発想〜〜!)
…違うし、違います。笑

(下品ですね。大変失礼しました)


さて昨日、福島高校の生徒さんたちが県立医大の見学にいらっしゃいました。
55人くらいでした。
福島ウィルという学生の団体(ボランティアサークル的な何かのようです。説明してもらって「へ〜、そうなんだ。」を連発したわりに既に忘れました(ごめん!)。ちなみに今読み直して思いましたが、下線部は、「福島ウィルという「学生の団体」」です。「「「福島 ウィル」という学生」の団体」ではありません)が、当日の誘導やら何やら一切合切がんばってくれました。

当日のプログラムはこんな感じです。

午前
・PET-MRIの見学(全身がスキャンできるのは、福島医大が世界初の導入だそうです。こんなすごいブツがこんなに身近にあるなんて驚きです。あと、カギとかが磁力で浮くのでパフォーマンス的に面白かったようです。←それは普通のMRIでも同じなんじゃないか、という冷静なツッコミは受け付けません。笑
・手術室のダヴィンチSiの見学(オペレーター2人タイプのやつです。ガチですごいです。3Dです。ロボットです。飛び出てます。滑らかです。ぬお〜〜 ぎ、技術!)
・ドクターヘリの見学(これはやのっちにとってはおなじみだったのですが、冷静な目で見るとやっぱかっこいい気がします。)
・被爆医療棟の見学(被爆した外傷患者の対応にあたる設備を実際に見せていただき、救急診療の基礎の基礎も教えていただきました)

午後
・「どんな医療人になりたいか」というテーマでグループディスカッション
・ディスカッションの内容をお互いに発表

 午前中は見学の引率(ツアーコンダクター的な)、午後はグループディスカッションのとりまとめを行いました。
 一通りのプログラムが終わって、引率の先生として発表の講評を求められました。高校生の若さとエネルギーと思春期独特の羞恥心や懊悩・葛藤なんかを垣間みれてたのしいなーと思いながら何を話そうか考えていた瞬間、ふと疑問がわいてきました。

 …あれ、この会の目的って一体何? ←遅

 つまり、「どうせ高校の医学部進学率をあげようという、進路指導室のセコい戦略の一環に違いない」と決めつけてかかっていたけど、本当にそうなのかな?という疑問がこみあげてきました。
 そして「あ、もしかしたらそうじゃないかもしれない」となんとなく思いました。
 と同時に、仮にも同じ空間で自分の頭をフルにつかって心をさらけ出してなんとか答えにたどり着こうとしている人たちを尻目に、「ふふふ、高校生らしくていい意見だな」とか「高校生なのにすごくよく考えてるな」とか思った自分の高慢さが恥ずかしくなりました。お前は何様なんだーーー。どこかで打算的な企画だと決めつけて、自分は1ミリも考えようとしてなかったことに気がつきました。
 (ま、結構高校生のみんなとも話せたし、医学生の生活や進路についての話とかもできたのでそれなりに役に立てたとは思うのですがね…。)

 結局、あまりまともな講評はできませんでした。文脈なくして解釈なし。文脈の把握が抜けていたことに気づかなかったのは「打算的な企画に違いない」という先入観があったからです。反省。

 会が終わった後、高校の引率の先生にご挨拶に行きました。
「今回の会は前哨戦にすぎません。
高校生が自分たちで地域医療のために何ができるか考えて、県庁でプレゼンして予算を獲得させてその事業を実現させます。」
「何もせずに口先だけで文句をいうのではなく、解決に向けて何か実行する人間になってほしいんです。だから、問題意識を持ってその解決のために何かしたという経験をしてもらいたいんです。」

 圧倒されました。
 昨年度以前には、日中関係の改善のために中国から大規模に学生を招聘して交流会を開催するという企画を成功させた実績があるそうです。
 1年目のSくん(彼も教え子の一人らしい)が「んー、一言で言うと変人です。すごい先生です。」みたいなことを言っていたのを思い出しました。ある種納得。
 サービスの享受者としての視線や理想形からの引き算としての現実の認識になれてしまうと、非建設的な批判や厭世に陥りやすい。その危険で甘美な香りも悪くないけど、やっぱり問題解決者としての視線や現実からの無限回の足し算としての理想の認識の方が健康的だと思います(あんまり甘美さはないかもしれないけど)。
 その感覚を共感できてうれしかったです(ま、医学部進学実績を上げたいという打算も全くないとは思いませんが、そのくらいはおまけしてあげましょう!(←何様〜))。


さらに、
「実は私は福島高校の受験に失敗して、大学も医学部に行けなかったクチなんです。
教えることが面白くて教師になりましたが、医師へのあこがれは持ち続けていました。
数年前に医学部受験を思い立って学校に辞表を提出するところまで行ったのですが、「お前は年を取り過ぎだ」という知人の医師の言葉に引き止められ、教師を続けています。」

 「お前は年を取り過ぎだ」は、教師として築いてきた人生を鑑みるに、これから自らが医師として第二の人生を始めるよりも、教師としての立場から医師を志す若者を応援することでできる社会的貢献の方があまりに大きくなりすぎた、と解釈できて泣けました。
 医者はある意味リーダーでありある意味で主役です。僕は、そんなそんな自分なんて、と萎縮してしまいますが、自分が医者として活躍できるようにそれを支えてくれている人たちがたくさんいて、視野を広げれば広げるほど、その人たちに恥ずかしくないような医師にならなくてはという気持ちになります。(うーん、尊大な発言でしょうか?)
 ちなみに、また別な意味では医者は脇役でもありますね。患者さんが主役という側面(「側面」というか最近のあれだとこっちが主ですよね)です。



…もっとたくさんのことを考え、思い、感じたのですが、長くなったのでこの辺にしようと思います。
 こんな僕でも、「ぜひまた参加してください」と言ってくださった運営の方々に感謝です。大学生と高校生が本気で地域医療について考えて行政を動かすなんてなんかいいじゃないですか。
 60年代みたいで(←そこかよっ。笑)

次回は夏合宿だそうです。
ではまたー。



2013年6月24日月曜日

「テゴラ」始動。

どーも、やのっちです。
先日、家に帰ってからパンツが前後逆だったことに気づき、顔面から火焔が噴出する感情でした(顔から火が出る思いでした)。


 さて、寺子屋「テゴラ」が始まりました。医大の研修医が4〜6年生を対象に金曜日のお昼に20分のミニレクチャーをするという企画です。
「手頃」、「寺子屋」、「アゴラ」、「tegola(イタリア語で瓦の意味)」の掛け言葉で、屋根瓦式の教育が、もっともっと当たり前になるといいな、と願ってつけました。えっへん。
←「つーか屋根瓦で適当にググってtegolaっていう単語を見つけてあとはこじつけでしょ。」と思ったあなた、あなたは鋭いです。主にその通りです。

 扱う内容は…いろいろ迷ったのですが、「VINDICATE」にしました。
 もともと「正当化する」という意味の単語ですが、「VINDICATE P(sycogenic etiology)」という語呂合わせでよく知られています。
 例えば、腰痛の患者さんがいる時にいろいろ診察しても原因がはっきりしない。「うーん、こころの問題ですかね〜。」と思う前に思い出すのが「VINDICATE P」(心因性疾患を正当化しろ!)です。「VINDICATE」の部分が、心因性以外のいろいろな疾患メカニズムの頭文字になっています。
V: vascular 循環障害
I: infection 感染性
N: neoplasm 腫瘍関連
D: degenerative 変性疾患
I: iatrogenic 医原性
C: congenital 先天性
A: autoimmune 自己免疫性
T: trauma 外傷性
E: endocrine 内分泌性
なーんとなく急性・高頻度のものから並んでいる傾向もあったりして、よくできた語呂合わせだな、と思うのですが、この「VINDICATE」のそれぞれを1コマずつかけて扱っていこうという企画にしました。
 第1回は循環障害から「梗塞」。梗塞がおこる臓器としては、内科臨床的に重要なのは4つくらいしかないこととその解剖学的理由、とりわけ心筋梗塞と脳梗塞の2つが重要であること、その治療の概略、肺塞栓と肺梗塞の違いなどについて取り上げました。
 初回ということもあり、やのっちが講師をつとめたのですが、意外に大変。20分しかないし、4年生と6年生では理解度が全然違うし…。

 ていうか、すっっっっっっっっっっっっづっっっっっっっっっっっごいアウェー感です(でも、けっこう知った顔もいてうれしかったです←どっちだ!)。うぎゃー。BSLを回っている5年生が普段控え室として使用している講堂をつかわせていただいたので、アウェー感のすごいことと言ったら、知らない人のお家に行って茶の間で勝手に2ヶ月練習した手品を披露したときの気持ちになりました。もっともしたことはないですけど。
 こういうところ、かなりの緊張しいなので、この前Fミリーマートで買った自己啓発本に書いてあった通り、「人に見られるんじゃない、自分が周りを見るんだ! そうだ、僕が見るんだ! 山本リンダ!」と自分に言い聞かせて(註:「山本リンダ」の部分は本には書いてなかったかもしれないし書いてあったかもしれません。記憶が曖昧です(?)。…多分書いてません。)臨みました。泣かずに最後までしゃべれてよかったです(←目標低っ!)。

 アンケート結果は驚きの高評価でびっくりでした。ま、アンケートに回答してくれるくらいの善意あふれる皆さんというバイアスがかかった結果と承知してても、方寸が温度上昇する感情でした(心があたたまる思いでした)。

 ま、これからが本番ですね。だんだんよくなるほっけの太鼓。ほかの研修医にお願いしたコマに関しても盛り上げていけるよう微力ながら尽力します!

2013年6月19日水曜日

中華とTMAO

どーも、やのっちです。

東北地方なる福島は梅雨入りも遅いのですね。(梅雨入り=5月のイメージを持った中国地方の人の発想)
僕はてっきり空梅雨で夏に突入したものとばかり思っていました。

そんな暑いじめじめした時期に、指導医の先生方と3人で中華料理を食べにいきました。
三角広場の近くのお店です(ローカルトーク 笑)。
中華ではウー・ウェンと吉岡勝美(のレシピ本)を偏愛するやのっち(特に、ウー・ウェンの本の餃子はすばらしいです)ですが、お店に食べにいくのは久しぶりで、うきうきしながら食べにいきました。
特別出来がよいとは言えないし、特別愛想がよい訳でもないやのっちでも、こうして上の先生にかわいがっていただけることが多い福島医大の特性(?)を存分に生かして、産婦人科に限らず、医大の研修医人生を謳歌しております。わーい!

今日のお店は気取らない雰囲気でおいしくて辛味のパンチが効いていておいしかったです。特においしかったのは黒酢豚(最初「クロス豚」に聞こえた)と牛すじ鍋でした。
また行きたい!

中華といえば油、油と言えばコレステロール、コレステロールと言えば冠動脈の粥状硬化ですね(?)♪

コレステロールが悪者にされてきましたが、4月のNature medicineでカルニチンがその代謝に深く関連されている的なことを書いてありました。
消化管内の微生物が赤身の肉などに含まれるカルニチンを代謝してTMAOなる物質を作ります。
そして血中TMAO濃度が高いと、心血管イベントや脳卒中のおこる頻度が増える可能性が指摘されています。

もっとも、サプリメントのカルニチンがただちに有害であることを示す内容ではないよう(挿管しないでください)です。(もちろん薦める内容でもありませんが)

長期間の食生活の変化によって腸管内の細菌叢が変化して、TMAOを産生する菌が増えたり減ったりするという点が面白いなーと感じました。
食べ物が腸管から吸収される前、腸内細菌の培養液として腸管を通過するプロセスというのは複雑であることが予想されます。
ある意味で、人間はその腸管内細菌たちにとっては洪水・飢饉・飽食・温度などを気まぐれに運命づける超越的な存在な訳で…、でもその細菌たちがいないと生きていけなかったりするなんて何だか不思議な感じです。

まとまらないけど、眠くなってしまったので終わります。
ではまた〜

2013年6月18日火曜日

Q熱

どーも、やのっちです。
昨日の投稿を自分で読み返して、我ながらハイテンションすぎて恥ずかしくなりました。
すみません、忘れてください。

本日はかにまる勉強会でした。
1年目の某くんがQ熱の発表をしてくれました。

最重要ポイントは以下の通りです。
(やのっちの高校の数学の先生にはT大卒の名物変人先生がいて、「今日の講義をまとめると、これが最重要(緑ペンで囲む)で…、あ、これも最重要で(緑ペンで囲む)、あとこれは本当に最重要で(緑ペンでぐるぐる囲む)…。あー、今日のは全部最重要!」という名言を残しました。最重要の「最」ってなんだーーー!!そして本当じゃない最重要って一体…)

・Q熱というのは、コクシエラという病原体が起こす感染症。
(ちなみにコクシエラが何者かという話はいろいろな変遷をたどっており、ウイルス→リケッチア→結局今は 細菌の一種(レジオネラ目・コクシエラ科・コクシエラ属)とされているらしい)
・急性Q熱は、肺炎か肝炎をメインとし、発熱・頭痛・倦怠感・筋肉痛・髄膜炎・髄膜脳炎・眼神経炎(「がんしんけい」を変換すると「顔真卿」が出てきてちょっと感動。すごいぞ、Google変換!)などを伴うことがあります。
・急性Q熱は、猫・牛などの動物の胎盤などから感染することがあり、お産後の猫がずりずりしたところをタオルで拭っただけでは感染を防げなかったという報告もあるそう(又聞きの又聞きですが)。
・急性Q熱は潜伏期2週間で、発症2週間で自然治癒することが多い。
・慢性Q熱もある。症状が非特異的。心内膜炎が多い。予後不良。

・マクロライド、テトラサイクリン、クロラムフェニコール、ST合剤などが治療薬となる。
・実はanti Jo-1, anti SS-A, anti DNA, anti SM, antinuclearなど各種抗体が陽性になることがあり、膠原病のmimickerである。

ということで、実は診断されていないだけで以外と身近にいるのでは?と思わせるひとときでした。

お疲れさまでした。
かにまる、もっと参加者増えるといいな〜

2013年6月17日月曜日

だじゃれとFACE

どーも、やのっちです。
特に意味はありませんが、マカロンです。
特に意味はありませんが、マカロンです。
左:抹茶*チョコレート、右:プレーン*福島県産クロスグリ
奥が深い。

 僕の最近の一大関心事はだじゃれです。
 だじゃれは非常にコモンで日常的に出くわすことが多いのですが、迅速かつ適切な対応をしないといろいろな意味で予後が不良になります(?)。

 たとえばですが(架空の症例です)、
問1008−C14 以下の症例提示を読んで対応として適切な選択肢を選びなさい。

【主訴】布団が吹っ飛んだ
【現病歴】3−4人で会話中に、やのっちが「…で朝起きたら、もうびっくりですよ。自分でも信じられなかったんですけど…」と言ったところ、指導医が「わかった、布団が吹っ飛んでたんだ。布団だけに。だはははは。」と訴えた。
【その場の雰囲気】凍った。
【既往歴】3分前「内股をうっちまった、内股だけに。だはははは。」

選択肢
a)「…。えっと吹っ飛んでなかったんですけど、」と言って話を続ける
b)患者の額に手を当てて体温を測る
c)「わわわっ、おーもしろーーーい!」
d)気管内挿管する
e)吹っ飛んでいたことにする
f)「内股ーーー(笑)」

解答 (正答なし?)
解説 これは割れ問(受験生の回答がeとfで割れました)でした。
 たしかに医療現場では同様の症例を経験する機会が多いのですが、標準的な受験生にとっては難しすぎる内容ですし、学会でも統一的な見解の得られていない論点の多い分野であり、戸惑った受験生も多かったのではないでしょうか。しかし、厚生労働省は病棟実習を回った学生にしかわからないような、実際の臨床に沿った問題(≒苦労)を(中略)、今後このような問題は増えるものと予想されます(されません)。
 aは△です。実際はこのような対応が多くなるのは仕方ない面もあります。
 bは相対的禁忌です。この対応が好まれる場合もありますが、患者との間に絶対的な信頼関係が築かれていることが大前提となります。手術中は絶対禁忌です。
 cは完全に馬鹿にしてます。よっぽどのぶりっ子キャラ研修医とおちゃめ指導医の組み合わせでしか成立しません。発言者がやのっちであることを考慮すると不適切です。(作問ミス?)
 dは、発語があり気道が開通しているので不適切です(挿管したくなる気持ちはわかりますが、やっちゃだめです)。
 eはだじゃれがなかったことにして事態を発展的に解消しているように見えますが、実際には場を盛り上げたいという患者の意向を無視した対応になっている点と、布団が吹っ飛んでいた話をその場で創作しながら話すという非常に難易度の高い治療法(実質不可能とする報告も多い)を選択している点で不適切です。「そうなんです、吹っ飛んでたんですよ…。って、いやいやいや〜(笑)」ならコテコテな感じになり、あまり面白くはないながらも好印象です(?)。
 fは既往歴にまで配慮した丁寧な対応として評価できますが、発言者が全く懲りていないことから3分前に自分が言ったことを覚えていない可能性があり、単に意味不明な叫びとして処理される虞のある危険な対応です。だじゃれへの積極的治療の適応は5秒以内(最新のガイドラインでは3秒以内を「推奨」、7秒以内を「許容」としている)であることから3分前のだじゃれに対しては経過観察しかしないのが普通です。もし叫ぶとしたら「吹っ飛んだーーー(笑)」の方がスマートです(←そうか?)。
難易度 ★★★★★



なんのこっちゃ(笑)。
失礼しました。




さて、気を取り直して本題(本題のほうが短いけど)です。
 一昨日から昨日にかけてFACEというセミナーが行われました。
 今回で15回を数えます。僕が福島に来るきっかけになった大切なセミナーなので、いつも楽しみにしていて、第6回から毎回参加しています。
 全国的に参加者を応募するこの手のセミナーにしては珍しい、手作り感とアットホームな雰囲気、そして白熱する真夜中の勉強会が魅力です。

 第15回は全国的に有名なあの先生をゲストにお迎えしました。セミナーとなると応用的な知識とか派手な所見とかが取り上げられることが多いような気がしますが、Y先生の講義では医師としての「基礎トレ」をさせていただいた感じがしました。基礎が難しい、というのはどこの世界も同じだな、と思いました。
身体診察のハンズオンなレクチャーに、思わず人だかりができました。
診察に体をはってくださったK先生とゲスト講師のY先生。
K先生にはたくさんの落書き、じゃなくて診察上のメルクマールが書き込まれています。
が、画像を加工したら単に胸毛みたいになってすみません。
 雑多な現実に押し流されていく日常に、定点観測の足場を築くことで、その流れを駆動力にできる気がします。その足場の一つがFACEであり、自分という存在を強く支えてもらっているような感覚をおぼえます。

 そして、FACEは新しい友人との出会いの場であるとともに、かけがえのない友人たちとの再会の場所でもあります。意識の高い優秀な学生・研修医、その場を和ませてくれるムードメーカーな学生・研修医…、毎回いろんな人がFACEにFACE(直面)して(S先生の発言を引用しました。挿管しないでください。笑)いろいろな想いを持ち、そしてそのうちの少なくない人たちがリピーターとしてまた参加してくれます。
 読者の皆さんもぜひ一度、FACEにご参加ください。次回は8月ですよー。

ではでは。