2013年4月17日水曜日

岩田健太郎著「ためらいのリアル医療倫理」

どーも、やのっちです。
ご無沙汰でござる。

今日の朝ごはんは黒米入りご飯と豆乳ミネストローネとカツオの酒盗とポーチドエッグでした。
活字にすると洒落乙な感じですが、昨夜の残りご飯をレンジで温めて、お湯沸かした鍋に卵を落っことして、スープ缶と豆乳を温めただけです。
最近、スーパーで買った酒盗が大好きなんですよね~へへ。ポーチドエッグとの相性がいいので、もしアレだったらお試しください。
あったかご飯に乗っけて食べると、なんとも言えず美味です。

…って、本題とはまったく関係ないんですけどね。。。

さて本題。
岩田健太郎先生の「ためらいのリアル医療倫理」という本を読みました。
(「ためらいの倫理学」へのオマージュなんですね、amazonで偶然ヒットして判明しました=3秒前まで知らなかった…。)
ま、読んだといってもわーーーーっと読み散らかした感じですが。

この本は医療倫理の2つの限界を描いた本といえるでしょう(独断ですが笑)。
①一つは医療倫理の内的普遍性の限界。
医療倫理における原則って例外があるんじゃない?的な。(ただし、筆者は原則と例外っていう二元論ではなく、典型と例外を双極とするグラデーションで捉えてますけど)
②も一つは医療倫理の外的敷衍性の限界。
「医療の枠組みで正しいことも、自由な意思決定とか、他の枠組みで考えると正しくないことがある」ということ。
例:死んでもいいから入院だけはしたくない、という人の意思とか。


で、この2つの問題とも「二元論の克服」で解決できまっせ、という本なのです。


①に関しては、(原文のクールな文章を暑苦しく要約してみました)
例:万人を分け隔てなく診療することは、物理的にも精神的にもムリっ!
→実際には個々の医者にとって、地理的・心理的・時間的に近い患者と遠い患者がいる
→理想の医療じゃないじゃん!!
→じゃあ、万人に平等っていう理想は捨てればいいの?(二元論的発想)
→理想の医療と実現可能な医療との間には埋められない溝があることを認識した上で、なおかつある程度その理想に近づく努力をしようぜ!!!(二元論の克服)
という感じで論じています(? 脚色してますが笑)。

②に関しても、
自由な意思決定権と最適な医療の提供のどっちを優先すればいいの?(二元論的発想)
→どちらも100%は実現できないという現実を認識した上で、なおかつ両方に最大限(そしてそのケースにあったバランスで)近づけていく努力をしようぜ!!(二元論の克服)

こんな読み方をしてみたのでした。

なんだか骨組みだけ読んでも面白くないので、興味のある方はぜひご自分で読んでみてくださいね。
ではまた~~



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