2013年7月23日火曜日

斜め入院と「100万分の1の恋人」

どーも、やのっちです。

先日、電話の取り次ぎで病棟の看護師さんから
「明日入院予定の●●さんなんですけど、明日の入院が斜めなので、入院の日程をずらせませんか?」
と言われ、
「…すみません、入院が斜めっていうのはどういう意味ですか?」
と聞いたら、
「(ため息)…もういいです。△△先生と直接話します。(ガチャ)」
と言って切られました。
斜めだからスルッとすべってずらしやすいのかと思ったら「斜め」ではなく「7名」でした。
新入院が7件もあってあまりに多いので人手が足りない、なんとかならないか、ということでした。
非常識な耳をしててすみません!…



さて、「100万分の1の恋人」という本を読みました。
ちなみにここでは、やのっちにスタイリッシュな読書は似合わない、という苦情は受け付けませんので、あしからず。(もっとも、「華麗なるインド系文字」とか「測定から読み解くレオロジーの基礎知識」とか「建築のエロティシズム」とか「爆発と凝集」とかをこよなく愛する事実は否定できませんが。笑)

すー、と読めるんだけど、なんだか心の重心がいつもより1.5センチくらい左前にシフトしたような読後感です(←全然伝わらんわっ!)。

この本を読んで再認識したことは、知ることの不可逆性・暴力性です。

知るという行為は不可逆的で暴力的です。
これは高校生のころからずっと考えているテーマの一つです(卒業式前日にほぼ徹夜で書いた答辞が懐かしい)。
ハーゲンダ●ツを食べることは幸せですが、その味を知った後に、エ●セルスーパーカ●プを食べるときの感情は変化するでしょう。
サンタクロースの●●を知った後、プレゼントをもらったときの純粋な驚きと感動は変化するはずです。
そんな日常的なことでも、知るという行為の暴力性を実感できます。
そして一度知ってしまうと、もう元には戻れません。

自分の出生に隠された暗い過去? あこがれのアイドルの整形前の顔? 自分への陰口? 人間が動物であるという事実? 抗えない大きな力の存在? 駄菓子の着色料の発癌性? 人の醜い心? 暴力? 老い? 隠された意図? 人はいつか死ぬという事実?

無知、というか知らないこと、無垢・純粋にも通じるようなそういう価値は失われていく一方です。自覚的に忘れることはできないから。忘れたいことは、特に。


そして、
知ることの不可逆性と暴力性の行き着く絶望の向こうに何を見るかは人それぞれですが、そこに諦観でもなく皮肉的態度でもなく、(許しというか)他者への優しさを見いだせたらいいな、と思うのです。


なーんて、斜に構えた感じで終えてみました。えへへ。笑
本の内容は1ミリも伝わらなかったと思います(すみませんっっ!)ので、興味のあるかたはAmaz○n等のサイトをご参照ください。

2013年7月15日月曜日

気になっていたアレと蜜の味

どーも、やのっちです。

3連休を使って、前から気になっていたアレを完遂してしまいました。
アレというのは…

「ER緊急救命室」シーズン1パート2を観ること!

 ERはNHKとかでも再放送をやっていたのでご存知の方も多いと思いますが、僕は高校生の時にシーズン10あたりを観てたような気がします。アメリカのドラマでわりとよくあるんじゃないかという、シリーズ化して久しくなったために生じたマンネリとその打破のための過激、そこはかとなく場を支配する疲弊感とストーリーの救いのなさが織りなす独特の感じ(「Mr. モンク」にも共通)もありましたが、それを差し引いてなお惹かれる魅力のようなものがありました。(え、偉そうな発言…)

 いやあ、その点シーズン1はいいですね。ERでの忙殺されるような毎日にへとへとになったところで、ふと患者との心の交流があったり、支えてくれる家族の暖かさが実感されたりする感じ…。
 そもそも医者の仕事は、お腹痛いって言っている人のお腹押したり、生身の人間に針刺したり刃物で斬りつけたり、人工的に作った薬品を注入したりする訳だから、どこかで日常的な感覚を置いてこないとできない仕事な訳ですよ(How doctors thinkから抜粋、引用改変、思い出しバイアスあり)。
 人間としての日常的な感覚をどこかで切り離して、かつそれをもう一度たぐり寄せて日常の自分を取り戻す、あるいは自分と違う境遇に置かれた患者さんの感覚を擬似的に体感することで医師−患者関係を築かなくてはならないところが、医師の面白みであり、難しさなのかなって思いました。

 見終わって思わずシーズン2のDVDを注文してしまいました。ひょひょひょひょひょ、で注文できちゃう簡便性は蜜の味ですね、Amazon…恐ろしい子っ(白目)。(密かにマイブームです。元ネタが何なのか知らないですが。←おいっ!)

 全然関係ないけど、「真珠の耳飾りの少女」も(こちらはiTunesでレンタルして)観ました。家から一歩も出ずして映画が観れてしまうこの文明社会においては、やのっちの出不精的素因が余すところなく発揮される運命にある訳です。ああ、外は天気がいいのに。


 …さすがにちょっと散歩にでも行ってきます。
 
 ではでは。

(あっ、今週も大津のこと書くの忘れた…。また今度にでも。)
(っていうかグラム染色セミナーも書いた方がいい気がする…。)

2013年7月1日月曜日

変態みたいな人と変人

どーも、やのっちです。
先日、ある手術でイメージ(リアルタイムで見るためのレントゲンが出るビデオカメラみたいな機械の通称)を使う場面がありました。
手術用ガウンの下に着ていた放射線防護衣(X線が出るのでガウンの下に着なくてはいけない)が緩んできたので、看護師さん(女性)に巻き直してもらいました(手術用手袋をしているので自分では触れないのです)。
巻き方がどうも緩かったので咄嗟に
もっときつくしてもらっていいですか?
と言ったところ、それを端で聞いていた麻酔科のきれいな女医さんに突然
変態みたい。笑」と言われました。
初対面の印象、悪っ!(というか、その発想〜〜!)
…違うし、違います。笑

(下品ですね。大変失礼しました)


さて昨日、福島高校の生徒さんたちが県立医大の見学にいらっしゃいました。
55人くらいでした。
福島ウィルという学生の団体(ボランティアサークル的な何かのようです。説明してもらって「へ〜、そうなんだ。」を連発したわりに既に忘れました(ごめん!)。ちなみに今読み直して思いましたが、下線部は、「福島ウィルという「学生の団体」」です。「「「福島 ウィル」という学生」の団体」ではありません)が、当日の誘導やら何やら一切合切がんばってくれました。

当日のプログラムはこんな感じです。

午前
・PET-MRIの見学(全身がスキャンできるのは、福島医大が世界初の導入だそうです。こんなすごいブツがこんなに身近にあるなんて驚きです。あと、カギとかが磁力で浮くのでパフォーマンス的に面白かったようです。←それは普通のMRIでも同じなんじゃないか、という冷静なツッコミは受け付けません。笑
・手術室のダヴィンチSiの見学(オペレーター2人タイプのやつです。ガチですごいです。3Dです。ロボットです。飛び出てます。滑らかです。ぬお〜〜 ぎ、技術!)
・ドクターヘリの見学(これはやのっちにとってはおなじみだったのですが、冷静な目で見るとやっぱかっこいい気がします。)
・被爆医療棟の見学(被爆した外傷患者の対応にあたる設備を実際に見せていただき、救急診療の基礎の基礎も教えていただきました)

午後
・「どんな医療人になりたいか」というテーマでグループディスカッション
・ディスカッションの内容をお互いに発表

 午前中は見学の引率(ツアーコンダクター的な)、午後はグループディスカッションのとりまとめを行いました。
 一通りのプログラムが終わって、引率の先生として発表の講評を求められました。高校生の若さとエネルギーと思春期独特の羞恥心や懊悩・葛藤なんかを垣間みれてたのしいなーと思いながら何を話そうか考えていた瞬間、ふと疑問がわいてきました。

 …あれ、この会の目的って一体何? ←遅

 つまり、「どうせ高校の医学部進学率をあげようという、進路指導室のセコい戦略の一環に違いない」と決めつけてかかっていたけど、本当にそうなのかな?という疑問がこみあげてきました。
 そして「あ、もしかしたらそうじゃないかもしれない」となんとなく思いました。
 と同時に、仮にも同じ空間で自分の頭をフルにつかって心をさらけ出してなんとか答えにたどり着こうとしている人たちを尻目に、「ふふふ、高校生らしくていい意見だな」とか「高校生なのにすごくよく考えてるな」とか思った自分の高慢さが恥ずかしくなりました。お前は何様なんだーーー。どこかで打算的な企画だと決めつけて、自分は1ミリも考えようとしてなかったことに気がつきました。
 (ま、結構高校生のみんなとも話せたし、医学生の生活や進路についての話とかもできたのでそれなりに役に立てたとは思うのですがね…。)

 結局、あまりまともな講評はできませんでした。文脈なくして解釈なし。文脈の把握が抜けていたことに気づかなかったのは「打算的な企画に違いない」という先入観があったからです。反省。

 会が終わった後、高校の引率の先生にご挨拶に行きました。
「今回の会は前哨戦にすぎません。
高校生が自分たちで地域医療のために何ができるか考えて、県庁でプレゼンして予算を獲得させてその事業を実現させます。」
「何もせずに口先だけで文句をいうのではなく、解決に向けて何か実行する人間になってほしいんです。だから、問題意識を持ってその解決のために何かしたという経験をしてもらいたいんです。」

 圧倒されました。
 昨年度以前には、日中関係の改善のために中国から大規模に学生を招聘して交流会を開催するという企画を成功させた実績があるそうです。
 1年目のSくん(彼も教え子の一人らしい)が「んー、一言で言うと変人です。すごい先生です。」みたいなことを言っていたのを思い出しました。ある種納得。
 サービスの享受者としての視線や理想形からの引き算としての現実の認識になれてしまうと、非建設的な批判や厭世に陥りやすい。その危険で甘美な香りも悪くないけど、やっぱり問題解決者としての視線や現実からの無限回の足し算としての理想の認識の方が健康的だと思います(あんまり甘美さはないかもしれないけど)。
 その感覚を共感できてうれしかったです(ま、医学部進学実績を上げたいという打算も全くないとは思いませんが、そのくらいはおまけしてあげましょう!(←何様〜))。


さらに、
「実は私は福島高校の受験に失敗して、大学も医学部に行けなかったクチなんです。
教えることが面白くて教師になりましたが、医師へのあこがれは持ち続けていました。
数年前に医学部受験を思い立って学校に辞表を提出するところまで行ったのですが、「お前は年を取り過ぎだ」という知人の医師の言葉に引き止められ、教師を続けています。」

 「お前は年を取り過ぎだ」は、教師として築いてきた人生を鑑みるに、これから自らが医師として第二の人生を始めるよりも、教師としての立場から医師を志す若者を応援することでできる社会的貢献の方があまりに大きくなりすぎた、と解釈できて泣けました。
 医者はある意味リーダーでありある意味で主役です。僕は、そんなそんな自分なんて、と萎縮してしまいますが、自分が医者として活躍できるようにそれを支えてくれている人たちがたくさんいて、視野を広げれば広げるほど、その人たちに恥ずかしくないような医師にならなくてはという気持ちになります。(うーん、尊大な発言でしょうか?)
 ちなみに、また別な意味では医者は脇役でもありますね。患者さんが主役という側面(「側面」というか最近のあれだとこっちが主ですよね)です。



…もっとたくさんのことを考え、思い、感じたのですが、長くなったのでこの辺にしようと思います。
 こんな僕でも、「ぜひまた参加してください」と言ってくださった運営の方々に感謝です。大学生と高校生が本気で地域医療について考えて行政を動かすなんてなんかいいじゃないですか。
 60年代みたいで(←そこかよっ。笑)

次回は夏合宿だそうです。
ではまたー。